療育だけでは足りない‐合理的配慮の大切さ

療育と合理的配慮

早期療育ブームへの違和感

最近SNSなどで「早期発見」「早期療育」という言葉をよく見かけます。
もちろん早く気づけること、早く支援につながることは大切だと私も感じました。

でも少しだけ違和感を覚えることがあります。
まるで「療育をすれば特性が無くなる」「療育で才能が開花する」といった希望が
強く語られすぎている様に感じるのです。

療育は確かに子供にいい影響を与えます。
でも、療育をしたからといって特性がなくなるわけではない
そして、療育を受けたからといって人より凄い才能がみにつくわけでもない
と私は思っています。

ASDの息子が診断を受けたのは小3の頃

息子が発達障害(ASD)と診断されたのは小学3年生にあがる前の春休みでした。
それまでの検診ではいちども引っかからず、子育て相談などでも
「特に問題ありません」「男の子だから・・・」
と言われ続けてきました。

よくみる育児本とはなんとなく違う子でしたが、検診や相談の結果を信じ
発達障害とは考えずに、息子のペースに合わせて子育てをしてきました。

私のしていた子育てはとてもシンプルです。

  • 好きなものを、興味があることのばす
  • 好きなものを認める

たったそれだけでした。

特技=すごい才能じゃなくていい

息子には小さい頃から夢中になれることがいくつかありました。
時間を忘れて集中している時の表情は真剣そのもの。
その姿をみて「これがこの子の特技なんだな」と思いました。

でもはたからみたら、それは特技ではないだろうと思います。ただ好きなだけ。
でも私は、”特技=素晴らしい才能”である必要はないと思っています。
”特技=好きなものがある”ということだって立派な才能だと思うのです。

苦手なことや嫌なことがあっても、好きなものがあることで心が満たされる。
それが息子にとっての安心になっていたんじゃないかと思います。
ちなみに現在(2025年)18歳になった息子。
学校の定期試験が終わると(結果に関わらず)、自分へのご褒美に
好きなプラモデルを買っています(笑)

学校で感じた「みんな一緒」という壁

「こんなに穏やかな子はじめてです」と言われた幼稚園生活。
しかし小学校に入ると、少しずつ壁にぶつかるようになりました。
「みんなと一緒に」という学校の文化の中で
息子はだんだんと息苦しさを感じるようになっていきました。

息子の”好き”や”得意”が周囲と少し違うだけで浮いてしまう。
その時、はじめて「社会の枠」「息子の個性」のズレを痛感しました。

療育は「合理的配慮」があってこそ生きる

療育は大切だと思います。
でも、それだけでは子供は救われません。

どんなに支援を受けても、周囲の理解や配慮がなければ
それだけで生きづらさにぶつかってしまう。

療育は「本人を変えるためのもの」ではなく
「本人が社会の中で自分らしく生きるための手助け」
だと思っています。

だからこそ、療育の効果を生かすためには
”合理的配慮”が必要なんだと思います。

早期療育より大切なこと

私が伝えたいの「早期療育」よりも「長く寄り添う環境」が大切だということ。

診断が早くても、遅くてもいい。
大切なのは、その子を理解してくれる大人がそばにいること。
そして、子供が自分の「好き」を大切にできること。

息子の子育てを通して感じたのは、
「療育はスタートであって、ゴールではない」
ということです。

これからも、息子の”好き”を信じて、寄り添っていけたらなと思ってます。

  • 療育で特性は消えない
  • でも、理解と配慮があれば生きづらさは減らせる
  • 「好きなものがある」ということは、それだけで希望

子どもの”好き”を認めることから、きっと支援の第一歩が始まるのだと思います。