1年生
小学校に入学して一年生の時の担任の先生は、定年前のベテランの先生でした。
「1年生の担任は8年連続です。」と自己紹介の時に言われました。
最初に注意されたのは長男は傘を上手にさせないので、カッパを着せて登校させていたのですが
「一人でカッパをたためないので、カッパは着せて来ないでください」と言われました。
そして一学期が終わるころ、学校に呼び出され「机の中の整理整頓ができない」と隣の席の子の中身と比べさせられました。
この時の私は、まだ7歳だし、38歳の主人だって片付けできないんだからしょうがない
くらいに思っていました。
2年生
2年生の3学期の終り頃、担任の先生に呼び出され、
「〇〇君発達障害だと思います」と言われました。
先生は大学で心理学を勉強していたそうで、発達障害について詳しい方でした。
- 国語の教科書の「手紙」というお話を段落ごとにグループで分けて暗記して発表する時に、
1人で全部暗記した。 - 校外学習で公園へ行ったとき、展示してある機関車に夢中になり
「帰るよ」と声を掛けたら怒り出した。 - 片付けが苦手で机の中身が一杯になってしまうので、机の横に箱を置いてもらっていた。
- 親が絶対に見なければならない手紙やテストは、先生がまとめておいていただき
連絡が来ると私が学校に取りに行っていた。
2年生の時の長男の様子と、先生がしてくれていた対応です。
本当に2年時の先生にはお世話になりました。
「昔でいうアスペルガーだと思います。」と言われ時は戸惑いましたが
タレントで魚類学者のさかなクンを例に挙げていただき、今では有名なお母様のエピソード教えていただきました。
アスペルガーについて/引用:NHK
先生の話を聞いて安心した私
当時恐竜が好きだった長男は、家や学校で恐竜の動きを真似したり、ずっと恐竜のお話をしていました。
不思議な目で見たりする子もいれば、「恐竜の事をなんでも知っていて〇〇君すごい!」
と言ってくれる子もいました。
本人が恐竜博士になりたいと言っていたので、休日や夏休みなどは恐竜が展示してある博物館や
特別展によく行っていました。
小さな博物館の恐竜の展示の場所だけで2時間近くいるので、博物館に行くときは私が長男に付き添って次男と主人は別行動でした。
(それでも福井の恐竜博物館と上野の科博は未だに回り切れません。)
主人には「子供の〇〇博士になりたいなんて言っているのを真に受けてるのはお前だけだ。」
と馬鹿にされることもありました。
先生の話を聞いて、このままの子育てでいいんだと安心した自分がいました。
今でも小学2年生の時の担任の先生には感謝しています。
先生のアドバイスで3年生に上がる前の春休みに児童相談所でWISKの検査をした結果発達障害(ASD)だと判断されました。
三年生の担任の先生は初めての男性の先生でした。
3年生
3年の時の担任の先生は2年目の若い男の先生でした。
一学期の初めにWISKの検査結果のコピーを渡して対応のお願いをしました。
初めての男の先生だったので、少し心配でしたがいい意味で細かい事を気にしない方だったので
長男も伸び伸び過ごせたようでした。
- 国語の授業で日常生活を家族とのエピソードを題材にカルタを作らなくちゃいけなかった時に
恐竜のカルタを作ってしまったけど、やり直しさせずにそのまま展示してくれた。 - 図工の時間紙工作で未来の街を作る時に、恐竜の街を作ったけれどokしてくれた。
(恐竜は大昔にいたんだから未来にはいないよねと否定しなかった。) - 体を動かすのが苦手なので、運動会のダンスの時に動きが少ないパートを考えていただいた。
多分2年生の時の先生ときちんとお話できていたから出来た対応だったんだと思います。
次の年にはお二人とも異動でいなくなってしまったのが、とても残念でした。